紅茶はどう世界へ広まった?|東洋からヨーロッパへの伝播と、アフタヌーンティー・各国の喫茶文化
紅茶は、中国で飲まれていた茶がヨーロッパへ運ばれ、イギリスで独自の飲み方として育ったものです。伝播の経緯、王室と交易が果たした役割、アフタヌーンティーの成り立ちとティーフード、そして各国の飲み方までをたどります。
紅茶は、もともと中国で飲まれていた茶がヨーロッパへ運ばれ、イギリスで独自の飲み方として育ったものです。世界地図の上を東から西へ動いた飲みものだと捉えると、歴史と各国の文化がひと続きにつながります。
この記事では、(1)茶がヨーロッパへ伝わった経緯、(2)イギリスで紅茶が根づいた背景、(3)アフタヌーンティーとティーフード、(4)世界各地の喫茶文化、の順にたどります。年代には諸説あるものが多いため、世紀や時代のまとまりで押さえていきます。
茶はいつヨーロッパへ伝わった?|東洋から運ばれた高価な荷
茶が本格的にヨーロッパへ運ばれるようになったのは、17世紀のこととされます。東洋との交易を担った船が中国などから茶を持ち帰り、はるか遠くから届いた高価な飲みものとして受け入れられました。
当時ヨーロッパへ渡った茶は、はじめは緑茶が中心だったとされます。長い船旅の間に酸化が進んだ茶のほうが好まれるようになった、という説明がなされることもありますが、これには諸説あり、需要に応じて発酵度の高い茶が作られるようになった面も指摘されています。いずれにせよ、時代が下るにつれて、ヨーロッパでは色の濃い茶が主流になっていきました。
茶を指す言葉が世界で二系統に分かれているのも、伝わった経路の名残とされます。海路で運ばれた地域ではティーやテーに近い呼び名が、陸路を通って伝わった地域ではチャやチャイに近い呼び名が使われる傾向がある、と説明されます。飲みものの名前そのものが、伝わり方の地図になっているわけです。
茶は当初、限られた層だけが口にできる贅沢品でした。専門の店やコーヒーハウスで扱われ、価格が下がるにつれて広い層へ浸透していきます。18世紀後半には、茶にかけられた税をめぐって北アメリカの植民地で反発が起こり、積み荷の茶が海へ投げ込まれた出来事が、歴史の転換点として語られます。