- 1615年(元和元年)に江戸幕府が発し、大名の居城以外の領内の城の破却を命じた法令はどれか。
- 明治6年(1873年)に出され、陸軍が用いる城(存城)と用いずに処分する城(廃城)とを区分する方針を定めたものは何と通称されるか。
- 一国一城令と同じ1615年に江戸幕府が定め、城の無断の新築を禁じ修理も届け出を要するとした、大名統制の基本法はどれか。
- 1871年に藩が廃されて府県が置かれ、各地の城が国の管理下に移るきっかけとなった改革はどれか。
- 関ヶ原の戦いの功で播磨に入り、現在見られる姫路城の大天守を中心とする大規模な城に築き改めた大名は誰か。
- 仙台に近世城郭を築いたが、天守を設けなかったと伝わる大名は誰か。
- 「烏城」とも呼ばれる黒い下見板張りの天守をもつ岡山城を、現在見られる姿に築いた戦国大名は誰か。
- 羽柴秀吉が徹底した兵糧攻め(渇え殺し)によって攻略したことで知られる、因幡の城はどれか。
- 別所長治が籠城し、羽柴秀吉の長期の兵糧攻め(三木の干殺し)の末に開城した播磨の城はどれか。
- 1877年の西南戦争で政府軍が籠城し、西郷隆盛の軍の攻撃を退けたことで知られる城はどれか。
- 関ヶ原の戦いの功で近江に入った井伊氏が、石田三成の旧領の佐和山城に代えて新たに築いた城はどれか。
- 徳川家康が京都での拠点として築き、のちに徳川慶喜が大政奉還を表明した場所として知られる城はどれか。
- 広島城を居城としたが、無断で城を修築したことを幕府にとがめられて改易された大名は誰か。
- 将軍職を子の秀忠に譲った後、大御所として政務を執るために大改修し、隠居の居城とした城はどれか。
- 関ヶ原の戦いの後に大幅に減封され、新たに周防・長門の萩に居城を築いて移った大名は誰か。
- もとは豊臣秀吉の弟秀長らが整え、のちに徳川御三家の一つ紀州徳川家の居城となった城はどれか。
- 織田信長・豊臣秀吉の系統の城郭(織豊系城郭)を特徴づける三つの要素の組み合わせとして正しいものはどれか。
- 江戸幕府が諸大名に費用と労役を課して行わせた、江戸城や名古屋城などの大規模な築城工事を何というか。
- 文禄・慶長の役の際に、日本の武将が朝鮮半島南部の沿岸に築いた一連の城を総称して何というか。
- 天正4年(1576年)から織田信長が琵琶湖畔に築き、礎石建ちの壮大な天主を備えた、近世城郭の出発点とされる城はどれか。
- 織田信長が美濃攻めの拠点として築き、近年の発掘で早い段階の石垣がみつかったことで注目される城はどれか。
- 大坂の陣の後、江戸幕府が豊臣時代の石垣などを盛土で覆い、天下普請で新たに築き直した城はどれか。
- 真田昌幸が二度にわたって徳川の大軍の攻撃をしのいだことで知られる、信濃の城はどれか。
- 1575年の長篠の戦いに際し、武田軍に包囲されながら奥平氏が守り抜いたことで知られる三河の城はどれか。
- 豊臣秀吉が小田原攻めの際、北条方に攻略の決意を見せつけるため短期間で築いたと伝わる城を何というか。
- 加賀百万石を領した前田氏の居城で、加賀一向一揆の拠点だった尾山御坊(金沢御堂)の跡地に築かれた城はどれか。
- 室町時代に太田道灌が築き、のちに徳川家康が入って大改修し将軍家の本城とした城はどれか。
- 古代、大和政権が東北の蝦夷を治めるために築いた、多賀城などの軍事・行政の拠点を何というか。
- 奈良時代に陸奥国府と鎮守府が置かれ、東北経営の中心となった城柵はどれか。
- 663年の白村江の戦いの後、唐・新羅の侵攻に備えて大宰府の背後に築かれた、麓の水城とともに知られる古代山城はどれか。
- 北海道などでアイヌの人々が見張りや祭祀などに用いたとされ、根室半島のものが続日本100名城にも選ばれている施設を何というか。
- 沖縄(琉球)で、按司とよばれる豪族が築いた、首里城や今帰仁城などの石垣をめぐらせた城を何というか。
- 近江の守護六角氏の本拠で、戦国期としては早くから大規模な石垣を用いた中世城郭として知られる、日本100名城の城はどれか。
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徳川家康が九男義直のために天下普請で築かせ、尾張徳川家の居城となった城はどれか。
関ヶ原の戦いの功で土佐一国を与えられ、現存天守をもつ高知城を築いた大名は誰か。織田信長が斎藤氏から奪った稲葉山城を改めて名付け、天下統一を目指す拠点とした城はどれか。徳川秀忠の子で、会津若松城を居城とし、会津松平家の祖となった人物は誰か。